東武3000系 フォトギャラリー
     
 デッカー3000系は両数も多く、東京に程近い東武野田線で走っていましたが、地味な車輌でした。全廃も3050系や3070系より4年ほど早かったことから、マニヤに注目される事もなく、いつの間にか野田線から消えてしまいました。野田線沿線でカメラを構えていても、同好の士と会う事など文字通り皆無でした。そのため、カメラを向けられることなく消えてしまった車輌も数多いと思われます。
 ここでは、そんな3000系たちの活躍について、拙い写真からスポットをあててみました。


B22-3428  旧色の3000系
 左 クハ3428ほか
 右 モハ3110
 奥 3113編成

 岩槻駅電留線
 昭和62年3月8日

 セージュクリーム色の3000系、この塗色は不評だったが、暖かみのある色であった。










C1-3428 セージュクリームの3000系
 クハ3428ほか

 岩槻駅電留線
 昭和62年3月8日

 ジャスミンホワイト塗装への塗り替えは2両固定が最初に完了し、その後4両固定編成が完了した。6両固定編成は遅くまでセージュクリームで残った。最後の旧色4両固定3121Fが新塗色化されたのとほぼ同時に6両固定編成3113Fが塗り替えられ、その後3123F、3116Fの順に塗色変更が続いた。
 デッカー3000系で最後まで旧塗装で残った編成はこの3128Fで、本編成を旧色で最後に確認したのは昭和63年4月19日。5月11日には新塗装で走っていた。







 
B4-3411  クハ3411ほか

 七里−大和田
 昭和62年2月19日

 前日に降った雪が僅かに残る沿線を行く、クハ3411ほか6連固定編成。
 この編成は、3000系の廃車第一陣となった。3月1日には杉戸工場裏に留置されていることを確認しており、運用を外れる約1週間前の撮影である。廃車予定がかかっていたためか、オデコのライトは装備されたままだったが、正面中央に一本のツノがあり、列車無線装置が取り付けられていたことが判る。











C32-3604 廃車回送されたデッカー3000系

 東武動物公園
 昭和62年4月8日

 昭和62年春、ついにデッカー3000系の廃車が開始され、自力回送されて杉戸工場裏に暫く留置された。手前から3604-3504-3407-3307-3207-3107 3601-3501の8連。何れも新塗装車であり、セージュクリームで廃車になった車は存在しない。3000系の解体は北館林荷扱所で行なわれたが、廃車第一陣のうち、ごく一部の編成の解体は西工で行なわれたという噂がある。
 この当時、杉工裏には様々な廃車体が留置されていた。左からキハ2001、クハ3604ほか8連、モハ7303、ED5019、モニ1471、貨車、モハ7876、クハ876、モハ6101。
 東武で残してほしかったものだ。










D13-3413 クハ3413ほか

 岩槻駅電留線
 昭和62年4月15日

 この編成は、オデコのライトをまだ装備していた。
ク ハ3413は旧総武鉄道引継車であるクハニ471の車籍を継承した車である。種車が旧総武鉄道の車は、何れも軸距2130mmの華奢な短軸台車TRK-29を装備していたため、台車を見ると出自がすぐ判ったものである。
 旧総武鉄道の車は75kwモーターであったため、東武に編入後、一部の車は国鉄63系の玉突きで地方私鉄に譲渡された。残った車は電装解除されたのち、3000系に更新された。旧総武車は更新後も全車野田線で活躍し、野田線で生涯を終えた。










I11-3428 クハ3428ほか

 大和田−大宮公園
 昭和62年6月16日

 大宮台地をごろごろごろごろ下って行く旧色3000系。昼間の大宮−岩槻間の区間運用である45運用に旧色3000系が入ると、大宮口では旧色3000系の撮影効率が上がり、喜んだものだ。
 野田線の3000系では、昭和62年5月上旬から、先頭車の正面に車号が書き入れられた。このような措置で、いわゆる列車写真でも車番が写り込むようになり、当時大変好ましく思ったものだ。












J2-3424 クハ3424ほか

 岩槻駅
 昭和62年8月9日

 大宮発船橋行きの1463列車
 真夏の真昼間、人影も無い岩槻駅にて。左の旧塗装車はモハ3116。
 猛暑の中、3000系で大宮から船橋まで2時間乗り通したら、扇風機がブワーンと吹き付ける熱風と灼熱、騒がしい吊り掛けモーター音と古台車からの細かい振動とフラットで、マニヤでもぐったりすることは間違いないだろう。今となってはそんな事を願っても叶わなくなった。









I22-3229  サハ3229

 大宮公園−大和田
 昭和62年8月9日

 閉められたカーテンが、車内の暑さを感じさせる。
 サハ3229は、大正中期に製作された木造客車であるホロハ15の車籍を継承すると伝えられる車。
 昭16に鋼体化されてサハ102となったのち、昭44にサハ3229に更新された。
 ホロハ15は華奢な短軸台車を履いていたとされており、これは鋼体化車サハ102に継承された。戦後、この短軸台車は国鉄TR11に換装され、サハ3229に引き継がれた。 サハ3229のようにTR11を装備した車は、木造客車をルーツとする場合が多い。









I23-3128  モハ3128ほか

 大宮公園−大和田
 昭和62年8月9日

 雲一つない、真夏の青空の日であった。朝ラッシュ後、3128編成が船橋に向かっていった。
 もうこの頃は旧色の3000系が少数となり、毎日の乗車時に、旧色の運用をチェックしておき狙って撮影したものだ。














J3-3217  サハ3217 車号

 岩槻駅
 昭和62年8月9日

 クリーム塗色時代、73系、78系や3000系など、
 釣掛車の車号はペイント書きで、車輌クラスが一段落ちる印象が感じられた。












J30-3428  クハ3428ほか

 大和田−大宮公園
 昭和62年8月10日
 1604レ

 真夏らしい雲と、午後の西日に照らされた、眩い印象の旧色3000系。














J31-3128  3128-3229-3329-3228-3328-3428

 大和田−大宮公園
 昭和62年8月10日
 1605レ

 真夏の暑い午後。稲穂の強い香りの中、上記写真でやってきた旧色の3128編成が、3000系独特の賑やかな走行音をたてながら、芝川鉄橋を渡りつつ大宮台地をゆっくりと登って行った。
 車掌さん、西日で暑くてどうにもならないようで、乗務員室のドアを全開にしていた。











J10-3128 3128F

 七里駅
 昭和62年8月10日
 705レ

 朝の通勤時間に活躍する旧色3000系。
 七里駅もまだホーム屋根が少なく、開放的な雰囲気である。写真右端に小さく写っている「喫茶六本木」の看板も懐かしい。













J23-3105 3105F

 七里駅
 昭和62年8月10日
 939レ















J32-3101  モハ3101

 大宮駅
 昭和62年9月17日

 クハ3401と共に、3000系のトップを切って更新された車。たまに運良く乗れると、嬉しかったものである。
 東武大宮駅は、その後ほとんど変化がみられない。














J33-3101  モハ3101車内

 岩槻駅
 昭和62年9月17日

 昭和39年に更新された、3000系のトップナンバー車。モハ3101とクハ3401は、車内が他の車より傷んでいた。特にクハ3401のデコラ板が汚く黒ずんでいて、いかにもトップナンバー編成らしく感じられたものであった。
 3000系はこの2両のみ昭和39年更新で、津覇車輌の車内銘版もこの2両のみ昭和39年銘。昭和40年車のような楕円型銘版ではなく、標準型の銘版であった事に注目頂きたい。









K3-3401  クハ3401

 昭和62年10月17日
 岩槻駅電留線

 クハ3401は、大正15年に汽車会社で製作された成田鉄道の客車ホハニ1の車籍を引き継いだ車である。ホハニ1の台車はTR11であったが、クハ3401に継承されたかは定かでない。戦後サハ98に鋼体化された頃、当時東武が購入したTR11と混ざった可能性がある。晩年クハ3401が履いていた台車は、3000系他車と同じく側梁中央に補強板があてがわれ、大きなリベットが複数並ぶ、東武の他車でも常見されたTR11だった。 
 蒸気鉄道として発足した東武鉄道は多数の客車を保有していたが、電化区間の延伸とともにボギー客車は電車に組み込まれてサハとして使用された。 その後、ボギー客車が装備していたTR10は、鋼体化前後にTR11に履き替えたとされている。ウィキペディア(TR10)によると、東武があたかも新品のTR11を調達したように書かれているが、東武鉄道のボギー客車が装備していた台車は基本的にはTR10であった。戦後に国鉄が進めた木造客車の鋼体化、その後に一部車種で行われた台車振替で、終戦後の国鉄には相当数の中古TR11が余っていたのではなかろうか。 
 





K4-3401  クハ3401

 昭和62年10月17日
 岩槻駅電留線

 クハ3401とモハ3101は上毛電鉄に譲渡されたが、上毛に引き渡された後に屋根の腐食が見つかったため、使用されずに解体されてしまった。
 幸いなことに、モハ3101の台車と制御装置は東武博物館にて保管され、M-8Dマスコンの操作を実感することができる。












K1-3101 モハ3101の制御器 東洋電機ES-530

 昭和62年10月17日
 岩槻駅電留線

 3000系は32系の電装品であるEE社製の機器を継承したため、32系と同様に「デッカー」と呼ばれたのであるが、EE社の純正品はモーターと一部車両の主幹制御器程度で、制御器は特許許諾を得た国産品だったようだ。「私鉄電車のアルバム(交友社)」によると、モハ3101の制御器は豊電業US-531と記載されているが、実車の制御器を見る限り、TDKマークが確認でき、東洋電機ES-530か? 晩年、車検時に制御器のローテーションが組まれていたのか? 制御器の箱は、3000系実車で当時複数種類を確認できたが、箱のみ更新された可能性もある。今となっては真相は不詳である。
 車番左に位置するはずの東武の社紋は昭和63年5月から書き入れられたもので、当初は車番のみだった。







                                                 
K8-3102  左 モハ3102ほか
 中 モハ3128ほか
 右 モハ3127

 昭和62年10月18日
 岩槻駅

 岩槻駅で写真を撮影していると、下りホームに3102Fがシーハーシーハーと、自動ブレーキ音を発しながらやってきた。
 旧型吊り掛け車で約2時間の長丁場 大宮発船橋行きの1007列車。











K7-3602
 左 クハ3602 右 モハ3128

 昭和62年10月18日
 岩槻駅電留線















K9-3602
 クハ3602ほか
 3602-3502+3427-3327-3227-3127

 昭和62年10月18日
 大和田-大宮公園

 夕方の1610A列車
 クハ3602編成が岩槻駅電留線から出てきた。
 大宮商業高校の横で3000系がフラット音も賑やかに坂を下っていった。







 
       
                      
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