東武線のキュンキュン踏切について
       
 本ホームページで公開している東武線のサウンドを注意深く聞いていますと、散発的に「キュンキュン踏切」の音を拾う事ができます。このキュンキュン踏切ですが、踏切マニヤの中に疑問に思われる方が居られるようですので、ここで補足しておきます。
 踏切警報機の警報音は、日本では金属製の鐘を打ち鳴らす機械式が嚆矢と思われます。私は残念ながら、国鉄、東武の機械式踏切を実見したことがなく、どのような音を奏でていたか興味をかき立てられます。ローカル私鉄であれば、平成の初め頃にも一部の踏切に、「チンチンチンチン...」と可憐な金属音を出す機械式踏切が残存していましたが、果たして現存しているものはあるのでしょうか?
 閑話休題、ここで記述するキュンキュン踏切の警報音は、前述の機械式ではなく、現在普通に使用されている電子式の初期版と考えられるものです。「キュンキュン踏切」は、音の高低によって2種類があり、やや音が低めのものは、遮断機・警報機が4箇所設置されている踏切に多くみられました。旧性能車の多かった東武線で、胸の透くような美しい音色を奏でました。音の高めのタイプは、遮断機・警報機が2箇所のみ設置の小さな踏切に多かったもので甲高い警報音でした。どちらのタイプも、警報音が鳴り始める時に、「キューン、キュンキュン...」と、第一声が長めになるのが特徴でした。
 オリジナルのキュンキュン踏切は、私が野田線沿線に引っ越して来た昭和50年には、野田線沿線のあちこちに存在していましたが、次第にその数を減らしてゆきました。記憶しているものでは
北大宮−大宮公園 間 昭和54年頃 低めのタイプが普通品に更新
               昭和52年頃 低めのタイプから通常品に更新
大宮公園−大和田 間 平成元年頃 高いタイプから通常品へ
七里−岩槻 間     昭和末期   高いタイプから通常品へ
岩槻−東岩槻 間    昭和63年頃 低めのタイプから通常品へ
などがあります。
 最後期まで残ったキュンキュン踏切は、愛宕駅東方の踏切でした。平成初期になると、野田線のキュンキュン踏切はここが最後となっていた記憶があります。
 ここでは、その愛宕駅東方のキュンキュン踏切を、車内からの通過音ですが紹介します。


        
    平成元年9月12日
    東武野田線 愛宕→野田市
    モハ3113  編成 3113-3214-3314-3213+3313-3413
    下り列車の先頭車に乗ると、愛宕駅へ到着してドアが開くと同時に、駅東方のすぐ近くにあった
    キュンキュン踏切の胸の透くような心地よい音が流れてきたものです。

    
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