東武2000系
昭和63年11月7日 蒲生−新田 中目黒行き1412Tレ
東武鉄道2000系は、営団地下鉄日比谷線乗入れ用に製作された東武鉄道最初の高性能通勤車で、78系の増備が終了した昭和36年に登場しました。加速度が3.0km/h/secとして設計された、オールモーターカーの地下鉄乗入れ車です。4両編成で始まった日比谷線との相互乗入れは好評を博したといい、増備が重ねられて最終的には8両編成20本の陣容となりました。日比谷線の乗入れにより、発展の遅れていた東武伊勢崎線は収益性の高い通勤路線に変貌し、戦後東武が最も成功した事項とされています。 東武2000系は伊勢崎線の縁の下の力持ち的で、8000系と並んで高度成長期の東武を支えた立役者でしょう。
日比谷線が北千住に繋がる前、2000系は浅草口にも姿を見せたそうですが、乗入れが開始してからは日比谷線直通専用車として運用され、伊勢崎線内では専ら各駅停車を担当しました。このため、竹ノ塚、松原団地、新越谷といった準急通過駅では、営団3000系と共にいつもやってくる毎度お馴染みのクリーム色電車でした。地下鉄乗入れ車であったため、扇風機ではなくファンデリアが装備され、夏季の車内は「ゴー」と賑やかであったものの暑い電車でした。車齢が高かったため冷房改造は行なわれず、沿線住民からは、夏の通勤通学には暑くて敬遠する電車として、未だ記憶される電車です。他の鋼製車がジャスミンホワイトへ塗色変更されるなか、2000系のみはそのままの塗色で、最後までセージュクリーム色で活躍しました。昭和末期には老朽化が目立ち始め、20000系列が新造され2000系160両は順次姿を消して行きました。
なお、車齢の若い中間車12両は野田線用2080系に改造されましたが不評で、2000系より先に全廃されています。
平成5年8月1日、最後に残った2118Fが北春日部と中目黒間を質素なヘッドマークを付けて往復し、2000系は東武線から姿を消しました。
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