鬼怒川公園駅
一般式 加須ゆき 一般式 野田線増尾ゆき 入場券
野岩線連絡券 会津高原ゆき 会津線連絡券 湯野上温泉ゆき
2000年に東武鉄道へ導入されたパスネットカードは自動改札化を要したため、東武日光、鬼怒川温泉駅が自動改札化され、また、栃木駅はJRとの分離が行われたため、硬券は立て続けに廃止に追い込まれました。しかし、鬼怒川公園駅は乗降客が少ないため自動改札化が見送られ、券種はやや少ないながら、入場券、140円乗車券から一般式の各種券、野岩線・会津線連絡券、往復券と揃い、東武で最後に残った硬券の牙城でした。社線内では1030円区間までが金額式で、1160円区間以遠が一般式でした。東武日光と鬼怒川温泉駅では、1030円区間までの全ての金額式券には小児券が用意されていましたが、鬼怒川公園駅には小児券が少なく、140円(新藤原/鬼怒川温泉に相当)、240円(下今市/大谷向に相当)、350円(東武日光に相当)、700円(栃木/新栃木に相当)だけでした。その他の金額式券は低額でも小児断線が入っており、これらは一寸前まではローカル駅でよく見られた形式でした。1160円区間は新越谷、大和田、加須ゆきがあり、1320円区間は東向島、大宮、増尾、多々良ゆきとあり、1500円区間は浅草ゆきだけでした。一般式の小児券は、東向島と浅草の2種だけでした。連絡券は野岩線、会津線連絡のみで、栃木経由両毛線連絡はありませんでした。新藤原経由の券でも、旅客の少ない中三依、男鹿高原、会津下郷ゆきはありませんでした。往復は会津高原のみ、入場券とともに大人だけでした。その他、非常用の特急・急行券がいくつか置いてありましたが、こちらは非常用で窓口の判断では売れないということでした。硬券廃止の嵐の後、これらの鬼怒川公園駅の硬券は暫く安泰と思われました。
栃木駅で連絡硬券が廃止された5月16日の週末5月21日、私は人影の無い鬼怒川公園駅を訪れていました。かつて栄華を極めた鬼怒川公園駅はひっそりとしており、広い駅舎を完全にもて余していました。そんな鬼怒川公園駅の窓口は1箇所で、前と変わらずベニヤ製の券箱が設置されており、その中にはずらりと硬券の姿がありました。立て続けに廃止された硬券でしたが、この駅では無事であり、いかにも時が静かに流れていました。
しかしその日応対された窓口の助役さんは、5月末限りで鬼怒川公園駅の硬券が廃止されるということを私に告げてくれたのです。鬼怒川温泉駅の硬券廃止から約二ヶ月、意外に結末は早く訪れたのでした。理由はとてもあっけないもので、「もう硬券使ってるのは、ここだけなんですってね。合理化で止める事にしました」ということでした。栃木駅の連絡券廃止からほんの2週間後の廃止でした。
最終日の5月31日、この日は平日でしたが仕事は休暇を取り、友人遊泉氏の車で昼過ぎに鬼怒川公園駅に向かいました。この日の窓口担当は30歳くらいの若い職員さんでした。最終券番の券を購入したかったため、職員さんに販売終了時刻を尋ねたところ、この日は職場で週報があるため、硬券の販売は遅くとも20時で終わらせたいとの事でした。遊泉氏が川治温泉への入浴を希望したので、私は「鬼怒川公園から川治温泉/川治湯元ゆき」の連絡硬券を購入して野岩線に乗車、友人はそのまま車で川治温泉駅に向かい、駅近くの共同露天風呂に入浴したりして時間を潰しました。途中激しい雷雨などがあり、人影の全く無い鬼怒川公園駅に戻ったのは、辺りがすっかり暗くなった頃でした。
渋い青緑色のA型連絡硬券は名残惜しいが、もう本当に最後でした。龍王峡行きの券は330円なので何枚も買いました。なお、鬼怒川公園駅には野岩線会津高原駅までの往復連絡硬券があり、往復硬券も勿論ここが最後でした。私は若い職員をからかってみたくなり、この往復硬券を小児で販売を希望しました。氏は最初「この券は大人の券で、小児券はありません」と言っていましたが、小児断線を指摘すると「(あっ、本当だ!)という事となりました。どうやらこの連絡往復券が小児で販売される事はこれまで殆ど無かったようでした。氏は販売方法がよく分らない様で、鬼怒川温泉駅に電話で確認した後、慣れない手つきで小児断線にはさみを入れていましたが、そのはさみは大きな布切りはさみだったのには驚きました。遊泉氏は(何と勿体無い買い方をする!)と呆れていたものです。このあと遊泉氏はこの往復券を大人で購入し、この券が本当に東武で発行された最後の往復硬券となりました。
窓口から鬼怒川公園駅の券箱の写真を撮影しましたが、後ほど確認すると、最終日は浅草、北千住、大宮ゆきの券が出ていたのみで、その他の発売は全て我々の購入だったようです。私が最後に買った社線内の券は「大和田ゆき」で丁度券番300、その後最後に買ったのは連絡の龍王峡行き、あの券も、この券も、
全ての券が欲しかったのですがお金もどんどんかかり、大概で止めにして遊泉氏と夜道を帰路につきました。鬼怒川線の奥まで押し寄せてきた出改札業務電子化の流れは、硬券という鉄道創業期からのシステムをあっけなく押し流し、東武鉄道における硬券一般販売は遂に平成12年5月31日夜、本当にひっそりと終焉を迎えたのでした。首都圏民鉄にパスネットが導入される半年も前の出来事でした。 (了)
平成12年5月31日の夜
鬼怒川公園駅の券箱と最期の硬券
連絡券は最上段に入っていました。
左上から龍王峡、川治温泉...
小児断線の入った金額式券は
昭和40年代にはなかった物ということで、
同行した遊泉氏は非常に違和感を感じておられました。
氏曰く、「ずるきっぷ」。
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