東武日光駅 

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                  金額式                    一般式
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                             入場券
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            野岩線連絡券 東武日光から秘境駅の男鹿高原駅に硬券で行った人は僅か... 

 東武日光駅を硬券目当てに訪れたのは、平成11年(1999)の秋でした。このころ、東武日光駅には出札窓口が2箇所あり、自動券売機がその右側に4台くらいありました。不思議なもので、観光地のせいか自販機はあまり利用されておらず、きっぷは窓口で購入する人が多かったものです。休日夕方など、多客時には両方の窓口が開いており、出札担当駅員さんが素早く硬券で観光客を捌いていました。お客が少ない時間には、開いている窓口はどちらか一方でした。この時既に、スペーシアけごん・きぬの特急券を発券するオンライン端末が入っており、特急の客には定期券サイズの磁気券が発行されていました。しかしそれ以外の客には、硬券が普通に発売されていました。快速列車の発車前などには、窓口に沢山の荷物を持った人々が並び、浅草や北千住までの硬券を求めていました。地元の子供たちも自販機は使わず、窓口で駅名を告げて硬券を使っていました。東武日光駅の窓口に設置されていた券箱は、右側窓口に古びた大きなものがあり、沢山の種類の硬券がずらりと並び、左側の硬券箱はベニヤ製でやや新しい感じのもので、こちらには社線内の主要券しか入っていませんでした。右側の窓口でないと連絡券が買えないということはなく、左側の窓口で、「龍王峡まで」などと言うと、左側の出札職員は右側の出札職員に、「龍王峡1枚出して」などと言いつつ代金を渡し、右側の出札職員から連絡券を受け取るというやり方で、券箱に入っていない券を販売していました。
 硬券の内訳ですが、普通乗車券は社線内が1030円区間まで金額式、1160円区間以上は一般式でした。これらには全て小児券が用意されていました。一般式では、1160円区間が谷塚、大宮、運河、羽生ゆき、1320円区間が浅草、亀戸、六実、東武和泉ゆきとありました。1500円区間は船橋行きのみでした。往復券は社線内外ともにありませんでした。入場券のほか、学割、身障割引等の割引券も僅かに用意されていました。
 ところで、新鎌ヶ谷駅がこのころ開業し、東武日光駅を起点とした場合、野田線における1320円区間は、それまでの六実から新鎌ヶ谷となりました。しかし、窓口では新鎌ヶ谷に行く客にも六実ゆきの券をそのまま売っており、結局最期まで「新鎌ヶ谷ゆき」の券は現れませんでした。
tonikoasikagaAA 連絡券は、栃木連絡の両毛線、新藤原連絡の野岩線、会津線があり、すべて緑青色のA型券でした。これらの連絡券はA型で立派な上、気品のある渋い緑青色で、昭和40年代から50年代にかけて東武線各地で使われた長距離連絡券と同形式で、実に魅力的な券でした。栃木連絡のJR連絡券は、小山、佐野、足利行きの3種類で、佐野と足利行きには小児券がありました。小山行きのみ、なぜか小児券がありませんでした。当時、東武で売られていた連絡の小児券はこの2種が最後でした。この小児券は殆ど売れておらず日焼けしてい ました。
 野岩線連絡券は全駅分用意されていましたが、男鹿高原行きはほとんど売れていませんでした。
 会津線連絡券は、会津田島/田島高校前、会津下郷、湯野上温泉、西若松行きの4種類でした。会津下郷ゆきはほとんど売れておらず、こちらも少ないものと思われます。これら連絡券のなかで特筆すべき券は、西若松行きの券でした。それは何とこの券のみ裏面記載が、往年のA型連絡券のように「発売日共2日間有効」 となっていたことです。ここで、当時の東武乗車券の有効日数についておさらいしてみましょう。
・ 社線内:キロ数に関わらず発売当日限り有効、下車前途無効
・ JR線連絡券:JR線と社線キロとの合算が101キロ未満、またはJR線が東京近郊区間 のみ乗車の場合、発売 当日限り有効、下車前途無効。
・ 野岩線連絡券: 野岩、東武線の合算キロ数に関わらず発売当日限り有効、 下車前途無効
・ 会津線連絡券:東武、野岩、会津線の合算キロが101キロ未満の場合、発売当日限り有効、下車前途無効。101キロ以上の場合、発売日共2日間有効。 
 面白いことに会津線が絡むと、発売日共2日間有効となるケースが出てくるのです。会津線は旧国鉄線であったためでしょうか。東武日光から西若松は101 キロを超えているのです。東武日光に限らず、会津線への連絡券で合算が101キロ以上の場合には2日間有効となり、自販機券でもそのように記載されています。しかしこtonikonishiwakamatsuA のように、硬券で発売日共2日間有効となる片道券は、もうこの券が唯一最後でした。なお余談ながら、この券は発売日共2日間有効であり「下車前途無効」という記載が無いにも拘らず、東武線内では途中下車ができなかったことです。これは勿論軟券や自販機券でも同じです。東武では、普通乗車券での途中下車制度が20年以上前に廃止されているのです。野岩線も同じく途中下車の制度がなく、この券を所持していても途中下車ができませんでした。(この頃、龍王峡など一部の駅では途中下車を便宜上認めていました。近年は規定が変わり、野岩線では2日間有効の乗車券なら途中下車ができるようになりました)従って当時、この硬券で正式に途中下車ができたのは会津線内のみでした。
  筆者は1999年末くらいから、日光鬼怒川地区を毎週末訪れるようになっていましたが、2000年を迎えたころから、「硬券は近々廃止になりますよ」という話を、日光鬼怒川地区の駅で硬券を買っていると、ちらほら聞くようになりました。パスネット導入にあわせ、日光鬼怒川地区に自動改札機を設置することが具体的なものにtonikonishiwakamatuB なってきたのです。事実、下今市や新鹿沼駅舎では疲れたスレート瓦が降ろされ、駅のリニューアル工事が始まっていました。そしてほどなくして、東武日光駅でも工事が開始されました。東武日光駅は改札口周辺と出札口の改良工事が着手され、元々あった出札窓口の近くに仮設窓口が設けられました。この仮設窓口では券箱がそれまでと逆に設置され、大型の券箱は向かって左側となりました。このとき窓口外から撮影した券箱の写真を示します。もう何十年も使い込んだような古い木製の券箱に収められた数々の硬券には、今となってはため息が出るばかりです。
 2000年2月はじめには、この仮設窓口に最新式の乗車券発行端末が導入されました。この端末は特急券だけでなく、近距離普通乗車券も定期券サイズの磁気券で発行できるもので、窓口職員の練習を兼ねて硬券と併用されるようになりました。そしてこのころに、東武日光駅の硬券廃止は平成12年3月31日限りという計画が立てられたと、駅員さんから聞きました。
tonikokenbako  3月に入ると端末機に対する窓口職員の習熟度が上がり、硬券は置いてあるものの殆ど使われなくなりました。平成12年3月中に発行された東武日光駅の硬券はかなり少ないものと思われます。そのような状況下、3月いっぱいで硬券を廃止するという当初の計画は大幅に切り上げられ、3月10日(金)限りで硬券は忽然と廃止されてしまいました。筆者は最終日が繰り上がった事を知らず、翌日3月11日(土)に東武日光駅を訪問したところ、古びた券箱は蓋を固く閉ざされており、後の祭りであったことを知りました。最終日に買おうと思っていて、買い漏らした券は多数にのぼりました。硬券マニヤが時として経験する、体から力が抜けて行く感じをはっきりと認識したものです。硬券の購入には費用も嵩むため、購入を何回かに分割して残りを最終日に買おうなどと目論みますと、時として失敗する事があるのは多くの方が経験している事でしょう。
 券箱は非常用として暫くの間、蓋が閉められたまま窓口に置かれていましたが、旅客にこの券箱が開かれる事は二度となく、非常にうらめしく思ったものです。これは東武日光駅に自動改札機が設置される1ヶ月くらい前の出来事でした。   (了)

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        連絡のA型券は、本来は2日間以上有効の形式でした。前掲の足利ゆきの券と比べてみてください。

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