栃木駅(JR東日本 委託) 


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     野岩線連絡 龍王峡ゆき           急行きりふり280号完全常備券               同左 背面


 1999年頃には、東武鉄道で硬券の通常使用が行われていたのは日光・鬼怒川地区の3駅に狭められていました。その他の駅では、一般客への硬券販売は終了し、端末の導入されていない伊勢崎・日光線系統のローカル駅のみ、特急・急行列車を予約する客に限って特急、急行券とその関連のごく限られた券種がマルキュー券と呼ばれ硬券で細々と使われているだけになっていました。しかし、パスネットの導入に伴う自動改札化のため、東武日光と鬼怒川温泉駅では2000年3月に相次いで硬券が廃止されました。そのような中、JR両毛線と接続する栃木駅では、例外的な硬券販売が行われていました。
 栃木駅は以前、JRと共同使用しており、出改札業務は東武がJRに委託させていました。北関東に長大な路線を有する東武は、各地で国鉄線と接続していますが、このような駅ではかつて、東武と国鉄は殆どノーラッチで結ばれ、東武は殆ど国鉄(JR)等の他社へ出改札業務を委託させていたのです。栃木駅は両毛線によくみられた趣のある古い駅舎で、JRと東武は改札の無い袴線橋で結ばれており、改札口は共通でした。かつては、きっぷうりばがJRと東武に分かれていて、東武の券は専用の窓口も存在し、東武専用の自販機で購入することになっていたように記憶しています。しかしこの頃に東武線用窓口はなく、自販機も当時JRで最新の多機能式タッチパネル型のものが入っていて、どの自販機もボタンでJR券と東武券の両方が買えるようになっていました。この自販機ではとーぶカードやパスネットは使用できず、東武の乗車券を購入してもJRの地紋が入った巻き紙で印刷された券が出てきました。この自販機は多機能式にも拘らず、東武のボタンを押しても社線内乗車券しか購入する事ができず、野岩線、会津線の連絡券の設定は無く、タッチパネルの多機能は全く生かされていませんでした。タッチパネル式自販機で対応可能と思われるにも拘らず、何故か東武鉄道から野岩鉄道にわたる連絡硬券と東武の硬券急行券が、JR栃木駅みどりの窓口で販売されていたのです。上り用の急行券を置いてあるのに、浅草ゆきや北千住ゆきも含めて東武線内硬券乗車券は一切置いておらず、非常に不可思議な取り揃えでした。この当時、栃木駅に特急は停まりませんでしたが急行は停車し、急行の本数も今よりずっと多かったことから、快速を逃した客の中には急行を利用する人も少なからずいたのです。
 硬券箱はねずみ色をした幅30cm位のスチール製のもので、かつて国鉄線の主要駅にあった券箱と比べて非常に小さなものでした。しかしスチール製の券箱は東武ではみられないものであり、いかにも国鉄JR駅の券箱でした。ダッチングマシーンは勿論、天虎製でした。
 野岩線連絡券は龍王峡、川治温泉/川治湯元、湯西川温泉、上三依塩原、会津高原の5種類で、栃木駅から龍王峡に行く客は何故か極端に少ないようで、あまり売れていませんでした。会津鉄道の連絡券はなく、会津線内まで行く客には、会津高原行きを販売し清算を指示していました。このため、栃木駅では会津高原行きの券が最も売れている券でした。小児券、往復券はありませんでした。栃木駅だけでなく、野岩線連絡券を小児で乗る客はtokikawazi 稀だったようです。往復を希望する客については、国鉄や初期のJR硬券でよく見られた「ゆき 有効期間は片道の2倍です」「かえり 有効期間は片道の2倍です」というゴム印を片道券2枚に押すことで対応していました。この代用券は東武では一切みられないもので、委託駅ならではの特徴でした。
 急行券は、しもつけ282号完全常備券、ゆのさと272号完全常備券、南会津274号完全常備券、南会津276号完全常備券、きりふり280号完全常備券で、何れも61kmから121kmまでの1070円の券(北千住・浅草用)と、列車名補充の急行券として31kmから60kmまでの700円の券(春日部用)でした。対応する乗車券、下り用急行券、小児券はありませんでした。
 この当時、ローカル駅で硬券の特急・急行券を発券する場合、駅員が東武鉄道の乗車券センターへ電話をかけ、センターの職員と話しながら予約を入れるという方法が行われていました。座席はセンターのコンピューターで一元的に管理され、発行された特急・急行券にはコンピューターが付番した6桁の管理番号である「券No.」を、出札する駅員が手書きで硬券裏面に記載する事になっていました。従って硬券急行券の裏面には、券No.を記載する欄がありました。ところが面白い事に、栃木駅では座席指定のシステムが東武のそれと異なっていたのです。栃木駅では、東武鉄道から向こう一ヶ月間の各列車の座席を予め割り当てられ、客の要望によってこの割り当て分を順次消化するという方法が採られていたのです。座席の予約作業は、東武から予め割り当てられた、月日、列車毎に作成されたA4版ほどの座席表を駅員が確認し、予約した席は赤鉛筆で予約済みの記入をするというものでした。そのため、栃木駅で発券された急行券には、券No.の記載がなく空欄のままなのです。
 国鉄やJRでは、乗車券、急行券、特急券、寝台券など全て入狭しましたが、東武では乗車券のみ入狭し、急行券や特急券には鋏を入れないのが通例でした。JR東日本が出改札業務を受託していた栃木駅では、東武急行の客には東武式に乗車券のみスタンプを押し、急行券にはスタンプを入れませんでした。
 東武日光、鬼怒川温泉で硬券が廃止される頃、栃木駅周辺の立体化工事は進捗し、真新しい高架のコンクリートが在来線の東側に立ちふさがり、在来線からもレール、架線も張られた様子が伺われるようになりました。栃木駅はJRと東武が分離することとなり、硬券も予断を許さない状況になってきました。東武日光、鬼怒川温泉の両駅で硬券が廃止された約2ヶ月後の平成12年5月16日限りで、栃木駅におけるJR東日本の栃木駅駅務受託は終了し、東武日光線栃木駅は東武の栃木駅として分離することとなりました。5月14日は分離前の最後の日曜日であり、土日運転の急行列車である「ゆのさと」「きりふり」の急行券発券は最後と思われたため、少し暑さの感じられる中、友人遊泉氏と昼頃の栃木駅に向かったのでした。栃木駅みどりの窓口で問い合わせたところ、やはりこれらの急行券は今日が最後の発券ということでした。毎日運転の南会津も、5月16日運転分までしか発売できないとの事でした。最終日の16日夜には、売れ残った東武の在庫硬券に全て無効印を押し、東武に返納する作業が予定されているので、これらの作業で硬券の販売は早めに打ち切るということを聞きました。また、分離後は東武駅に電算端末が設置されない予定なので、少なくとも急行券は硬券で残るだろうと、みどりの窓口の駅員さんは教えてくれました。最終日の夕方に購入しに来るので、それまで置いてもらうことを依頼しておきました。駅の反対側に回ると、東武の栃木駅は準備の真っ最中で、おそらく開業日に行われるであろう記念式典の準備として、高架下に椅子と演台が設置されていました。東武駅に隣接してプレハブが建てられており、ここはしばらく事務室として使うようで、中には「御家族が無事の帰りをお待ちです」の、例の根津嘉一郎の額が仮置きされていました.そんな様子を観察しながら、栃木駅を後にしました。
 栃木駅でJRと東武が分離する前日の5月16日は火曜日であり、仕事を定時で終わらせて準急新栃木行き列車に飛び乗り、栃木駅に到着したのはもうかなりうす暗くなっていました。みどりの窓口に行き、出てきた職員へ硬券を購入しに来た旨を話すと「もう終わった」とあっさり断られました。みどりの窓口から覗われる駅事務室の中は、何やらあわただしい雰囲気で、中央部に設置されていた事務机には黄色い大きなプラスチック容器が2〜3置かれ、その中には何と大量の硬券がずらりと並べて置かれていました。そのとき駅事務所の中に居た、一人の職員さんと目が合いました。氏は日曜日に応対下さったtokiyunishigawaL 職員さんでした。大変幸いなことに氏は私を覚えてくれており、すぐに硬券を売ってくれました。購入した硬券を手にすると、券番は日曜と比べてあまり飛んでおらず、無効印もまだ押されていませんでした。深みの有る青緑色の栃木駅の連絡硬券、危機一髪で僅かに数枚助け出したというような感触を感じたものです。改札で購入した硬券にスタンプ入鋏を入れてもらい、私もあわただしく最後の栃木駅をあとにしたのでした。野岩線連絡券と急行券だけがJRみどりの窓口にて硬券で売られていたという、変則的な栃木駅はこうして幕引きとなりました。
 後日訪れたぴかぴかの東武栃木駅の出札口には、東武おなじみのベニヤ製券箱が置かれており、この券箱は新品のようでした。浅草、北千住行きの硬券乗車券の口座が新設されているのには驚かされました。やはり野岩線の連絡券は無くなっていましたが、急行券が完全常備券から列車名補充式の券に変わっていました。急行券の販売方法は意外な事に、事前割当を受けた席を台帳管理するやり方でJR時代のままでした。JR栃木駅のみどりの窓口に設置されていた硬券は、やはり急行券も含めて東武の新駅に全く引き継がれぬまま終わったのです。    (了)


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