文久永宝

                                                 
 
 明治維新を迎える5年前という激動の時代、文久永宝は文久3年2月(1863)から明治2年(1869)年迄の約7年間鋳造された銅四文銭です(2) 文久3年は、寛永通宝四文銭安政期銭の開鋳から6年後にあたります。文久永宝の製作、特に仕上げ工程のヤスリがけは寛永通宝四文銭安政期銭とほぼ同一ですが、材質は安政期銭より硬い金属で、安政期銭とは別の材質規格で作られています。文久永宝の銭文筆者は、松平春嶽慶水、板倉周防守勝靜、小笠原圖書頭長行の3人(1,2,3) 、草文系統の彫母銭彫刻者は伊藤清三郎勝見で、草文彫母銭の完成は文久2年12月11日、玉宝彫母銭の完成は同月22日と伝承されています(2)
 文久永宝は大きく分けると草文と真文の2種類です。草文系統は金座系銭座での鋳銭とされており(1,2,3) 、金座系銭座である小菅座の鋳銭は文久2年から明治元年頃に亘り(1)  、草文系統は文久銭全体のうち過半数を占めます。これら草文系統は、新寛永銭と同等に削字が殆どみられない貨幣です。これに対して真文系統は、銀座系銭座の鋳銭と伝えられ(1,2,3) 、小変化が非常に多く、江戸時代の中末期に製造された官鋳銭の中では特異な存在となっています。17世紀後半には、鋳造貨幣を均質に製造する技術が確立されたにも拘らず、それから約200年を経過した幕末、なぜ古寛永御蔵銭のような貨幣に巻き戻ってしまったのか、不思議な所です。文久永宝は、銭銘では実質的に日本最後の穴銭と言えますが、削字を重ねた貨幣が日本の穴銭の最期を飾ることになったのです。これは偶然ですが、世界最後の穴銭、安南保大通宝と一脈通じる所があります。
 文久永宝の母銭は、草文と略宝しか残っておらず、真文系統では子銭が雑銭でも、母銭が殆ど残っていません。辛うじて入手可能なものは楷書くらいでしょう。その他の真文母銭は民間に殆ど現存しておらず、入手自体が絶望的です。例えば、繊字は雑銭中の雑銭ですが、その母銭の存在は、古拓で1〜2点認められる程度です。銀座系銭座は、母銭の管理が極めて厳重だったようです。
 分類収集の視点からは、文久永宝は小変化があまりにも多いため、厄介な貨幣です。特に直永や深字手短久などは、A銭とB銭が直系か傍系か別系統か、直系ならばどちらが本体に近いか、などといった系統的分類が非常に困難です。しかも、現在広く認知されている分類法は文久銭を直系的に捉え過ぎている感もあり、A銭とB銭が別系統と考えられるケースでも、「A銭はB銭からの削字変化」とされている例が幾つかあります。このような場合には本コーナーで私見を挟みました。 
 文久永宝は幕府直轄で鋳造された立派な官鋳銭で、各種の試鋳貨も存在していますが、何故か収集界では昔から不人気です。過半数を占める草文系統が数種類しかない反面、真文系統は小変化があまりにも多く、代表銭を集めた時点で収集完結とせざるを得ない事や、入手の可能な母銭は、種類が限定されるためと考えられます。文久永宝の分類法は、「文久永宝分類譜」(4) でほぼ完成したと言えますが、文久永宝は小異変化の多い割に、寛永銭のような小異変化に由来する有名品に乏しく、とにかく文久永宝は地味な貨幣で、多くの人には面白くない古銭と思われます。
 文久永宝は雑銭視されていますが、寛永銭に比べると存在は意外に少なく、寛永銭のように、「かます一杯出た」や「200キロ出た」などという話は全く聞いた事がありません。そして五千枚や一万枚まとまって出たというレベルでも、寛永銭と比較すると桁違いに少ない事を附記しておきます。

参考文献
(1) 平尾賛平編   「昭和泉譜」所載 文久銭泉譜 私家版(1933)
(2) 相澤平佶    「文久泉譜」 巌南堂書店(1967)
(3) 著者不詳 (7)       「BONANZAミニ入門1 文久永宝」 ボナンザ(1974)
(4) 小林茂之    「文久永宝分類譜」 天保堂(1984)
(5) 南部古泉研究会編 「南部銭誌 第二輯」 南部古泉研究会(1975)
(6) 銭楽会編    「浄法寺密鋳銭」 銭楽会(2003) 

(7) BONANZAミニ入門1 文久永宝には著者の記載がありませんが、古銭界では和泉 原山一郎氏が著者と伝承されています。

真文    

深字
 4系統からなる類で、その名の通り面地が深く製作佳良な事が特徴です。深字は本来(しんじ)と読みますが、文久永宝では何故か(ふかじ)と読むのが慣例となっています。
1a 1b  深字本体 
 
 深字本体という名称で呼ばれていますが、他の深字勁久や深字降久など深字全体の本体ではなく、深字類の単なる1系統と考えるべきと思います。削字変化があります。掲載品は昭譜原品です。
57a  57b   深字本体 刔輪

 刔輪の度合いは色々ありますが、微刔輪の範疇で、分けるほどでもありません。


11a 11b  深字勁久 (別名 深字狭永)

 久字にふんばるような特徴があるほか、広穿です。削字変化があります。

4a 4b  深字勁久刔輪 

 若干刔輪されているものを充てますが、微刔輪の範疇です。同じく広穿で、削字変化があります。

5a 5b  深字勁久再刔輪

 深字勁久刔輪をさらに刔輪して出来た種類とみなされており、確かに面文は近似しています。しかし狭穿であることや、背波の特徴は深字勁久と異なり、両者は別系統と私考しています。存在は少なく、削字変化も少ない様です。
3a 3b  深字降久

 「こうきゅう」と呼ばれる文久永宝一番の有名品です。削字変化は激しく、また降久の面地には、寛永通宝四文銭仙台銭類の母銭に似た、独特のブツブツ仕上げ(魚子地・ななこぢ)が鋳出されています。但し、文久永宝の魚子地は寛永銭背千類よりブツブツが多くて細かく、両者は異なります。→文久永宝の魚子地について
 
銭径には大小があります。
9a 9b  深字広永 (別名 深字濶永)

 深字4系統の中では最も多い系統です。文久永宝分類譜では中分類として深字広永をさらに6系統に分けていますが、書体が類似し削字変化が無数に加わるため、鑑識は容易でありません。存在数は文久永宝500枚に1枚くらいと思われます。
深字手
 深字広永に良く似た書体ですが、深字に比べると面地が浅く、製作も劣ります。広久と短久に分類されていますが、短久は書体変化が激しく、系統的な分類が困難です。
19a 19b  深字手広久

 深字広永に良く似た書体ですが、浅字となっています。また、寶字の王画横引きが、深字広永は斜めになるのに対し、深字手広久は真っ直ぐになり、王画自体が大王宝気味となるのがポイントです。おそらく1系統と思われ、削字変化があります。存在比率は、文久永宝200枚に1枚くらいの割合です。
20a 20b  深字手短久

 書体的には、深字広永や深字手広久と比べて書体の祐筆さが失われ、下手な書体に見えます。久字の前足が輪から僅かに離れるものが多く、短久という名称が付けられています。書体変化が非常に多く、何系統あるのか定かではありません。製作は良い物もありますが劣るものが多く、粗製濫造が感じられる銭です。存在数は多く、文久永宝100枚中5〜10枚くらいです。
直永
 文久永宝の中では少ない部類ですが、種類と削字変化が極めて多く系統的分類は容易ではありません。本体、狭穿、進点永の3系統に分けるのが通例ですが、恐らく10系統近くになるものと考えています。直永書体の雛型を基に、複数の直永原母が作られ、これらが加刀変化していったものと推測しています。
 存在数は文久銭2000〜3000枚に1枚くらいと思われ、珍品というほどではありません。
23a 23b  直永広郭

 このような肥字広郭銭を直永の本体に充てる意見が多いのですが、単なる広郭銭を本体として充てている事例も多くみられます。直永広郭はいくつかの書体で存在しており、各系統レベルでの本体か、または単なる広郭銭として捉えた方が無難と考えています。
8a 8b  直永
 
 本体系の直永で、比較的広穿の品です。現在、本体系とされているものは、実際には数系統から構成されていると考えます。

28a 28b
 直永

 これも広穿の直永ですが、前銭とは書体が異なります。



7a 7b  直永
 
 同じく広穿の直永ですが、前銭とは書体や背波が異なり、削字変化ではなく元々別系統の可能性があります。

24a 24b  直永

 かなり削字の入った面文です。


25a 25b  直永

 本品は下に掲載した品と面文が似ていますが、若干広穿です。背波は全く異なっています。

26a 26b  直永

 比較的狭穿の銭です。現在、直永本体系と直永狭穿系を分ける基準は、穴の狭さと銭文の離郭さ程度であり、本品などは狭穿気味でやや離郭していますので境界線に位置する銭でしょうか。

12a 12b  直永狭穿

 直永には狭穿の銭が比較的多く、これらのうち特に狭穿で離郭するものは、一括して直永狭穿と分類されています。直永本体の穿を一部埋めることによって本類の原型が製作されたと一般に認知されていますが、元々両者は別系統とみています。本類は、さらに数系統へ分類する事ができます。
27a 27b  直永狭穿

 本品は割と良く見かける書体の直永狭穿です。


6a 6b  直永進点永 (別名 直永小点永)

 直永の非常に明瞭な一系統です。永点が小さく進み、永字フ画が俯さない特徴のほか、面地のみ深字降久と同様なブツブツ(魚子地)があります。中には不明瞭な銭もあります。銭径は小ぶりのものが多いです。直永中、進点永の系統は少ないとされていますが、そうでもありません。
29a 29b  直永進点永 大字(仮称)

 書体的には直永進点永ですが、常見される直永進点永とは雰囲気が大きく異なります。即ち、大字で刔輪気味に見えます。進点永の中では変わり者です。
細字  
 細字、細字離足宝、細字垂足宝、細字長宝、細字跛宝、繊字と、大きく6系統から構成され、文久永宝が100枚あったら、20枚程度はこの系統で占められます。これらは雛型を基に作られた別個の原母銭から派生したもので、直永や細字の削字修正によって産まれた銭とは異なるものと考えます。
 この類は、深字降久や直永進点永の魚子地とは異なりますが、面地に浅いブツブツがみられるものが多く、中でも細字跛宝刔輪などでは比較的明瞭な銭が見られます。
17a 17b  細字

 比較的肥字広郭で、久字の頭端が太く、鍵状をしていない銭を充てます。文字には大抵、細かい削字が入っていますが、中途半端な削字のものが多く、削字の少ない肥字の銭は貴重です。製作良好です。雑銭視されていますが、文久永宝100枚中、1〜2枚といった所でしょう。
18a 18b  細字狭頭久

 細字の削字による派生と推測される銭で、全体的に細い字となります。細字と同様、削字の度合いは様々です。掲載品のように広穿気味となる品があります。細字と細字狭頭久の厳密な区分は困難ですが、細い字となっていて、久字の頭が細く小さく見える銭を充てます。存在数は細字より数倍多い反面、鋳溜まりが多く、細字より製作は一段落ちます。
62a 62b   細字狭頭久 瑕宝

 細字狭頭久の宝字王画が削字されたものです。


2a 2b  細字離足宝

 細字に似ていますが、銭文がやや大きいほか離郭し、寶後足が目画から離れます。また、全体的に削字されて細い字となります。少ないと言われていますが、存在比率は直永位かと思います。全く目立たず、非常に地味な銭です。製作は細字と同程度ですが、鋳溜まりの多い銭もあります。
10a 10b  細字離足宝 肥字
 
 常見する細字離足宝のように字画が削字されておらず、肥字広郭です。通常の離足宝の前駆銭である可能性があります。

13a 13b  細字長宝

 細字垂足宝に似ていますが、書体は異なり銭文も離郭します。本類は字抜けが良くなく、鋳溜まりが多い銭が殆どです。微小な削字変化があります。

14a 14b  細字長宝短頭久(仮称)

 細字長宝は久字の第一画によって、2種類に分けられます。本類は前品と比べて久字第一画が短く、角度も異なります。存在数は前品とほぼ同等です。字抜けの良くない事、削字に関しても同様です。
31a  31b   細字垂足宝

 宝字が仰宝気味となるほか広穿気味です。既出の細字長宝と似ています。雑銭扱いですが、文久永宝100枚につき1〜2枚程度の存在です。背波は他の細字類と異なります。銭径の大小がありますが、大きめの銭が多いです。
30a  30b  細字跛宝刔輪

 極端に刔輪されており、刔輪の度合い違いのほか、微少な削字変化があります。文久永宝分類譜には、未刔輪の品が掲載されていますがそちらは幻の銭貨です。これに対し、本品の前駆銭は上段の細字垂足宝である可能性を赫璋師が提言されています。本類には面地のブツブツが目立つ銭が多いです。文久永宝100枚中、1〜2枚程度の存在数です。
21a 21b  繊字
 細字に良く似た書体ですが、久字の第一画に爪があります。本類は細字の削字による変化とされていますが、背波が細字と異なるなど、両者は似て非なるものと私考しています。→細字と繊字 背波の違い   また、繊字の永字フ頭は永頭と平行しないとされていますが、実際には平行なものもあります。以下、繊字には数系統ありますが、基本銭としては、宝字目画が大きく、後足が中庸な斜めに配置されているものを充てます。製作は比較的良好です。
59a 59b  繊字瑕宝

 繊字の宝字王画が削字されたものです。


58a 58b  繊字小点文

 文点が小さめという特徴のほか、宝字が跛宝気味であり、後足が下向きとなっています。後足の特徴から、繊字垂足宝とでも呼びたい銭です。前掲の繊字を削字した物ではなく、一手と考えています。永字フ頭は、本品のように永頭と平行するものが殆どです。製作は比較的良好です。
60a 60b   繊字離足宝
 
 前掲の繊字小点文とは逆に、宝字の後足が横向き気味となり、目画と少し離れ気味です。微細な特徴ですが、本類も繊字の削字変化でなく一手と考えています。永字フ頭は、永頭と平行するものと、しないものとが同数近くあります。なお、繊字類の永字フ頭の永頭との平行度合いについての違いは、本類を含め微差です。
61a  61b   繊字離足宝 短足宝

 繊字離足宝の宝字前足が削字され、小足宝となったものです。掲載品は、永字フ頭が永頭と平行しないものです。


22a 22b  繊字狭目宝

 繊字に良く似ていますが、宝字の貝画が細く、宝後足が目画の角から打たれています。字の大きさが小さいのもポイントです。永字フ頭は永頭と平行するものが多く、平行しないタイプは少な目です。銭径が小ぶりで、字抜けの良くない製作が劣るものが殆どです。細字類の中では最多です。
楷書
 この類のみ、他の文久永宝と比べてやや製作が異なります。材質は柔らかい金属で、薄肉銭で揃っており、字抜け、製作良好です。薄肉の割にス穴銭が少なく、精緻な技術で作られています。いかにも明治維新直前の近代的な穴銭といった雰囲気が感じられます。
15a 15b  楷書 (別名 楷書異波・背高波)

 面文は次掲の広穿広郭と似ていますが、背の左2波と右2波が高い所にあり、背を見るだけですぐ鑑識することができます。本類はいわゆる十番銭ですが、存在数は広穿広郭の四分の一程度です。文字の端々に微細な削字が入ります。やや濶縁縮字となった銭が存在しています。
16a 16b  広穿広郭 (別名 楷書・背低波)

 背の左2波と右2波が低い所にあります。削字は前銭と同様に微細なものが多く認められます。やや縮字となった銭が存在しています。
 民間に母銭が現存しており、数年に一度くらい、売りに出されることがあります。
 草文
草文類  
 玉宝類と並んで存在は多く、文久永宝の代表銭です。宝字が「寶」となっています。草文系統は、どれも削字変化が殆どありません。文久永宝で通常入手可能な銅母銭や錫母銭は、実質的には本類と略宝類に限られます。
32a 32b   草文広郭 (別名 濶縁広郭)

 製作が良く、草文系統では略宝広郭と共に初期銭と思われます。本類には磨輪銭が比較的散見されます。
 なお、磨輪銭は本類だけでなく、各種に存在しています。
34a 34b  草文中郭

 文久永宝の中では最も多いもので、後掲の草文細郭と合わせて文久銭の半分以上を占める代表銭です。製作的には良い物から劣るものまで様々です。書体は草文広郭と似ていますが、若干異なるほか、背波の左右上部の角度が高めという特徴を掴むと区別が容易です。母銭は若干少なめです。
36b   草文細郭

 草文中郭の郭が細くなっただけのもので、銭文、背波ともに草文中郭と全く同一です。郭の細さは色々で、中途半端なものも多く、本来ならば分類として分けるほどでもありません。粗製濫造品が多く、美銭はあまりありません。母銭は最も多いです。
38a 38b  草文長郭 (別名 長孔勁文)

 全体的に勁文な書体です。宝字の冠が郭より大きく下がっているポイントから見分けるのが容易です。字抜けは悪く、製作は劣ります。子銭の存在数は文久永宝200枚に1枚くらいですが、母銭はそれほど少なくなく、散見されます。
 略宝類  本類も存在数は非常に多く、草文類より数は若干少ないものの、文久永宝の代表銭です。宝字が「宝」となっています。広郭、中郭、細郭という構成は草文類と同じで、製作の特徴も両者同一のため、草文と略宝はペアで鋳造され、郭の広い細いも同時期のものと推定しています。本類も削字変化が殆どありません。
 略宝類には「小字」と「小字濶縁」という珍品があり、贋物が非常に多い銭のため存在自体を否定する人もいます。私も「これぞ」という小字を見た事がありませんが、おそらく正品はあるものと思われます。見た目は大分異なりますが、小字は、草文長郭のペアなのでしょうか。
33a 33b  略宝広郭 (別名 玉宝広郭)

 宝字が「寶」ではなく、「宝」であることから略宝と呼ばれます。略宝広郭は草文広郭と同様に、製作に優れた美銭が多いです。
存在比率は略宝中郭と細郭の五分の一以下で、意外に少数派です。
35a 35b  略宝中郭 (別名 玉宝中郭)

 略宝広郭と書体はよく似ていますが、背波の角度が高めという特徴を掴むと区別は容易です。草文中郭とともに、文久永宝の代表銭です。母銭は若干少なめです。
37a 37b  略宝細郭 (別名 玉宝細郭)

 略宝中郭の郭が細くなっただけのもので、銭文、背波ともに略宝中郭と全く同一です。中郭との中間体があり、粗製濫造品が多く、美銭に乏しいことも草文細郭と同様です。母銭は多いです。

 称 恩賜手  寛永通宝四文銭の称恩賜手と同様に、鮮やかな銅の色と仕上げのヤスリ目が残った文久銭です。寛永通宝の称恩賜手とは、明治維新の際、明治天皇が東京に入京される際に御土産用に鋳造されたという三上花林塔氏の説(推論?)があり、明治吹増銭とも言われています。三上氏は文久銭、天保銭にも同様なものがあると述べており、具体的にどのような銭種を示すものか不明ながら、いつごろからか収集界では、文久永宝の未使用銭を寛永銭に倣って、「恩賜手」と呼ぶようになったようです。
 文久永宝の称恩賜手は、殆ど全ての銭種に亘って存在し、ヤスリ目など製作的にも本銭と全く変わらない事から、土産用に少数鋳造されたものとは考えにくく、単なる未使用銭の可能性が高いものと推定しています。
39a  39b   称 恩賜手 草文広郭

 この種類の恩賜手はどれも地が黒くなっており、製作も良い事から非常に立派です。
 地が黒くなっている事を俗に「漆が入っている」「墨が入っている」などと言いますが、これは見栄えを良くするためのものではなく、鋳造工程技術に関するものと推測しています。
40a  40b   称 恩賜手 草文広郭 磨輪

 地が黒くなっている点など、製作は同様です。草文広郭と略宝広郭の恩賜手は、とても見栄えが立派な上、入手も容易です。

42a  42b   称 恩賜手 草文中郭

 この種類は地が黒くなっていないものが多く、そのため恩賜手でも見栄がしません。

43a  43b   称 恩賜手 草文長郭

 この種類も地の黒みは強くありません。


41a  41b   称 恩賜手 略宝広郭

 この種類は地が黒くなっており、草文広郭と全く同じ製作です。本類も素晴らしく見栄えがします。

56a  56b   称 恩賜手 略宝中郭

 草文中郭と同様に、地が黒くなっていないものが多いです。
 尚、称恩賜手の文久永宝はまとまって出ることが多く、未使用緡としてこれまで散発的に見つかっています。緡の内容は偏っていることが多いと云われています。
44a  44b   称 恩賜手 深字本体

 恩賜手としてあまり見ないものです。


 
45a  45b   称 恩賜手 深字勁久

 こちらも恩賜手としてあまり見ません。


51a  51b   称 恩賜手 深字降久

 降久の恩賜手も少ないですが、上記2種よりはまだ比較的散見されます。

46a  46b   称 恩賜手 深字広永

 この類は比較的多く存在しています。


47a  47b   称 恩賜手 深字手短久

 全体的な存在数が多い割には、恩賜手の深字手短久は、それほど多いわけではありません。 

49a  49b   称 恩賜手 直永

 直永の恩賜手は、比較的散見されます。 


50a  50b   称 恩賜手 直永狭穿

 この種類も比較的散見されます。


48a  48b   称 恩賜手 直永小点永

 深字と直永の恩賜手は、夢のような話ですが昭和50年代に東京神田で166枚まとまって出たことがあり、内訳は約半数が深字で残りは全部直永。深字の内訳は、深字本体が約20枚、深字勁久再刔輪が1枚、深字降久が約15枚、残りが深字勁久。そのロットには深字広永が殆ど入っていなかったと伝えられています。
52a  52b   称 恩賜手 細字

 細字類や繊字類は、雑銭の割には恩賜手をあまり見ないところです。しかし草文や玉宝のように綺麗なものはありません。


     称 恩賜手 細字跛宝刔輪

 

 
55a  55b   称 恩賜手 繊字

 

53a  53b   称 恩賜手 楷書(高波) 

 楷書類の恩賜手は、あまり見ません。


54a  54b   称 恩賜手 広穿広郭(低波)

 楷書類は2種とも、地が黒くなっていません。


彷鋳銭    文久永宝は明治維新直前の貨幣のためか、彷鋳は殆ど存在していません。明治新政府から発令された通貨鋳造禁止令(明治2年12月31日付)頃までの数年間、ごく少数作られて終わったものと推定されます。
 浄法寺では、文久永宝(銅・鉄)の密鋳が行なわれたとされています(5, 6)
63a    銅彷鋳 楷書(高波) 写

 赤銅色、小型で、如何にも彷鋳の雰囲気があります。直径25.5ミリ、内径20.0ミリに縮小されています。売りに出てくる文久銭の銅彷鋳は、鋳崩れ末鋳銭や鋳砂銭のことが多く、購入の際には注意を要します。掲載品のような高波の銅彷鋳は散見されますが、広穿広郭(低波)の銅彷鋳は見た事がありません。
30a 30b  鉄彷鋳 草文広郭 写

 荒い鋳肌は如何にも、彷鋳の寛永鉄銭や背盛、仰宝鉄銭そのもので、本品は比較的薄手です。文久永宝で贋物が最も多いのが略宝小字と本類です。草文の鉄彷鋳には贋物が非常に多く、売物のうち半分くらいは駄目でしょう。購入にあたっては十分注意が必要です。
31a 31b  鉄彷鋳 繊字狭貝宝 写

 本品も、いかにも彷鋳寛永鉄銭のようなザラッとした雰囲気があり、薄手です。



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